MATSURI まつり事

公共団体まとめ 

※表紙の下!の、ココに「INDEX」を作成予定
 

このブログ・ワールドの世界観

ほっとあいずの視点/

この世界は、色んな結び付きで出来ている

 

確かに本来、この世は「たった1つ」しかなく、それを「人間の都合」で分類分けし、役割ブンタンして、それぞれの営みをしてきた

 

そこは、例えば「日本」について考えると、

 横糸のブログ衆/ 分野ごとの繋がりのブログ集

 縦糸のブログ衆/ 地域ごとの繋がりのブログ集

に、分けることが出来る

 

その2つの糸が織り為すのが、この日本という国

そこは、色んな糸の繋がりで創られたれている

そして、それは、たった1つ在る「曼荼羅」の世界の、それぞれの仏たちの様に、それぞれがそれぞれに輝いていなければイケてない...

 

そして、そこは「私の視点」と「貴方の視点」の、大きく分けて2つの「視点」で成り立っている

 

また、その間には、それを映す(≒描き移す)、あるいは伝える存在としての「メディア(≒音)」があり、それを通して、自分が何をしたい&して欲しい、あるいは、お互いを知ろうとする関係性の中に棲んでいる

 

だから、「ヒトの間(あいだ)」と書いて、その「間」までを含めて「人間」という存在がある

 それは、個体としては存在しない(≒出来ない)、昆虫類の1つの進化の形体である「蜂(ハチ)&蟻(アリ)」とは違ったカタチでの、活きるための知恵

 

この世の中が、もっと単純だった頃(16世紀「産業革命」以前ぐらいか?)までは、それぞれに関連する世界が「1つのヒエラルキー」を造り上げ、そのサミットを中心に、そこから命令系統を含めた、情報の流れを創っていれば良かった

それは「地(≒血)」というモノに規定されており、色んな物語は、目に見える範囲で行われていた

「多くの情報」も、そのサミットにのみ集められ、DO!集められるか?も含めて、多くの「船頭争い」が繰り返されてきた

 

また、別の「知」のカタチである「法」も宗教と結び付いて絶対的なモノであり、それこそ「あれかコレか」の競争の世界であったヨーロッパでは、宗教改革(これも16世紀!)をもって、その「絶対的」というものから自由になったことになっている

けれど、色んなモノゴトで競争したい気持ち!?は、その根元のトコロに残っている??

 

一方、農耕というワザを知った、アジアや古代アメリカの世界に於いては、違った道を人間は歩いて来ていた

 

そこは「お互い様」の世界

 

けれど、それは「ナー、ナー」に流されるときもある

それに、ヨーロッパの分析する思考を取り入れて「マー、マー」の関係にしなければならない... と思っている

 

そのためには、まずは「お互いを知る」ことから、始めなければならない ツ(^o^)シ