無事、我が町・美幌に戻ったほっとあいずです
To 四国の皆さん
色々と大変お世話になりました
m(_ _)m
トンダ・ハプニング「脱輪事件!?」はありましたが、滞在期間中は天候にも恵まれ、多くの方々とお会いでき、また多くの「思い出話し」を持って帰ってくることができました
※ごめんなさい、美幌の各位へのお土産はありません、あしからず...
そして、新たに「理解」したことは、今後、このブログで記述して行きたいと思います
主に訪問した街/
≪松山市≫
そこが四国の「千年の古都」であること
そこには確かな「歴史」が刻まれていること
それは「京都」が持つ落ち着きと優しさと同じものを内在させていること
≪多度津町≫
この街は、「こんぴらさん」と「善通寺(ぜんつうじ)」の門前町または城下町であること
そのため「城は無い」けれど、ちゃんと道順を聞いたはずなのに、思い切り「道に迷うように出来ている」こと
また、
この町にある「道隆寺(どうりゅうじ)」は、まず最初の見守るモノであること
※ちょっと値踏みをするようだが...
また「葛原正(かずはらしょう)八幡神社」には、樹齢千年を超える見守るモノがいること
実はその直後、金陵酒造さんの裏の農道で、脱輪事件が発生!!
最後は「迷うこと」すら、意味があるということを知ったこと
and Special Thanks to Fuku-sushi...
少林寺拳法の総本山の右斜め前にある「福寿司」の皆さんには、大変お世話になりました
m(_ _)m
≪高松市≫
この街が、泰平な時代、あるいは移動経路が「海の道」から「土の道」になった後の古都であること
江戸時代になったあとの「四国の玄関」であること
源平の戦いの地である「壇ノ浦古戦場」の呪縛から脱し、その輝きを増し始めていること
≪その他の街≫
松山市~多度津町~高松市へと移動する間に通った高速道路で見かけた「名前を失ったカントリーサイン」たち
あまりにも数が多過ぎたため撮り切れなかったが、そこには、かつて輝きを持っていたときの歴史が刻まれている
現在の四国が、多くの個性を消さないで、その集合体になろうとしていることを感じた...
そこにも、日本という国が目指すべき「道のシルベ」がある
To 読者の皆さん
「Ver.5」へのヴァージョン・アップを行うにあたって、とうとう3人目の陰武者が登場しました
1)大好き!BIHORO
2)風の名のもとに
3)月の輝き
この影武者たちは、このワールドが「ページごとの掲載写真の枚数が多い」ため、1つのID(使用者名)で写真をサイトにアップして行くと、ある一定の容量(許容量の10%あたり)を超えたあたりから、作動時間が遅くなって来てしまうため、出現しているモノたちです
現在のところ、ほっとあいず1人で運営していることには変わりはありません
今回のVer.5へのワールドの構造改革により、「全体の基本的なシステム」の構造は固まりつつあります
また「1人での運営」では、そろそろモテアマシ気味になってきているため、協力者を募らなければならないようです
その方向性は、このワールドを支えて頂いている「MARUTA」さんが目指しているものとも、リンクしていると確信しています
1人のユーザーが複数のブログを立ち上げることが出来ると共に、お互いの信頼関係で1つのブログの作成作業を、簡単に他のユーザーと分担出来る、このサイトの特性、それが目指そうとしたものを、このほっとあいずワールドで追及して行きたいと思っています
それは、現実社会をサポートするための存在としての「電脳の世界」の役割の実現ともリンクして行く...
私が電脳の世界で、「ほっとあいず」を名乗るのは隠れるためではなく、「個の名前」を消すことで「入れ物」になるため
「ほっとあいず」という、ちょっと複数形っぽい名前を使うことによって、色んなヒトとリンクするため
それは、モノゴトを評価する者という存在ではなく、影ながらサポートする存在「見守るモノ」への道
いつか、みんな一緒に笑い合いながら、共に生きられる
そんな世界を目指して、ほっとあいずは、道の真ん中を歩いて生きます
ほっとあいず
2007.9.14