ここのトコロ、本格的な白い冬になる前に!ってんで、壊れかけていた「室(むろ)の修復」を、一週間ほど掛けて、ホームセンターから木材やその他の材料を買って来て、やっていた
やっと、雪が積もる前に、作業完了の見込み ...ヤレヤれな感じ
そろそろ昼間でも氷点下になってきて、明後日に結構、雪が降るらしいから、危なかった
家庭菜園場化した、箱庭の一角の「タタミ一畳分」の倉庫ではあるが、ネズミ年生まれ!?のお袋としては、やはり何かを溜めるのは、その「性」として根っから、楽しいらしい
「物臭さ」な考え方では、年中スーパーなどで食べ物は売っているのだから、その都度、買ってくれば良いとか思ってしまう
が、やっぱり、色んな意味で「確保する」ことは、安心に繋がることも事実
その昔、何処の家でも、食糧を何らかの形で「保存食」化して、冬を乗り切った
それは、漬物であったり、干物だったりだった
だから「文化度」っていう面で考えると、日本人は、そんな生活の業(ワザ)を究めていた種族
現在、創作菓子の世界などで、ヨーロッパの色んなコンテストで、色んな賞を受賞することが出来るのは、そんな「食文化」があったからであり、それは、片手で手軽に食べれれば良い!的な亜米利加人なんかには、真似の出来ない歴史の延長線上にある...
モノが腐るのは「水分」が有る!からで、塩や寒風なんかを使って、その水分を抜き、腐敗を遅らせる
「フリーズ・ドライ」なんて最近の技術と思われているが、すでに日本の東北や北陸地方では、乾し大根なんかを作って、その技術は当たり前だった
あるいは、腹をこわさない様に、色んな菌で腐らせた
日本食の基本の、味噌や醤油は発酵食品だし、それぞれの地域にある漬物やお酒も、腐らせる事によって保存できる様にした
ワイン位しか、腐らせられなかった西洋人には真似の出来ない蓄積が、そこには在る
また米や豆なんかは、植物が寒い冬や乾燥期を乗り越えるため、あるいは「何処かに連れてって!」な気分で、ある種の冬眠しているのを食べさせて貰っている...
だから、自分の足で歩くことを基本にしていた時代には、いまほど色んなお店があるワケでも、日々トラックが荷物を運んでくれるワケでもなく、常に如何にして「身の周りに、食べ物を保存するか?」が問題でもあった...
だから、現代は、昔よりも「幸せ」なハズ
なのに、それを実感できない
ココのところ、ほっとあいずは裏(≒浦)の世界??で、つまり新しく創ったページを「非表示」のままにして、色んな分野の「研究者」や、その他のサービス業の団体をピックアップして、たくさんのページを作って!?そこに描き出している
その作業を通して観えて来るのは、あまりにも、第1次産業と言われる「食べモノ」を創る立場を足蹴にして、この世界が造られているか!っていうこと
その昔、江戸時代には「士農工商」っていう序列で、社会の役割ブンタンを表わしていた
それは、イイ国作ろう(1192年)の鎌倉時代から始まる、日本式「民主主義」の時代のブンタン
だけど、世間のヒトが思うよりも実際は、幸せな時代だった
確かに、その中の「士」の立場のニンゲンが、何十年あるいは何百年かごとに、それこそ腐って仕舞って、どうしようもなくなった
そんなときには、戦乱の時代が訪れたりしたが、地震&雷&火事&オヤジや、病気、あるいは飢饉(≒基金!?)という脅威以外は、精神的には、今よりも幸せだった様に思われる
今よりも、みんなの「ブンタン内容」が単純で、もう少しみんなの顔が見えた様に思える
それなりの「手抜き」はあったかもしれないが、いまほど「何でも、カタチだけ」な空気感ではなかったように思われる
そして、それぞれが自分のやることに、誠意を持って当たって居た様に思う
あるいは、それをちゃんと繋げる立場の者が居た!
今の時代は、なんでも無駄!って言って、色んなモノコトが「ダイエット」な空気の中にある
あるいは、色んなヒトの「手」を煩わすと値段が高くなる!って言って、自分が必要なモノだけに「手」を出そうとするヒトが増えて仕舞った
カネがあれば何でも買える!
ってんで、皆がみな、どんだけ「簡単にカネだけ、手に入れようか?」って考えている
そんな空気感が漂っている内は、振り込め詐欺は無くならないし、官僚の命だけ殺めても、何も変わらない ...