基本!モノゴトを、他のヒトに伝える!
その為には、「言葉」を使うのが一般的で有るし、言葉はガサ張ら無い?
から、それに置き換えることで、色んな制約を越えて、一人歩きが出来る
だけど、必ずしも、みんな「同じ言葉(≒100%)」で会話をしているワケ!
では無く、色んな要因に拠って、伝わる「事実」が変質して行って終う!?
こともある
例えば、「数字」の世界では、以下の「秤」で量れば、「モノ」の重さという
モノを、1つの数字に置き換えることは出来るし、それをみんなで共有する
ことが出来る様になる
然し、それは「重さ」というカテゴリーに於いて!(だけ)であって、それ以
外のモノゴト、例「長さ」や「高」さなどは、この秤では「置き換えること」は
出来無い
また、それに対応する「秤」が必要になってくる
そして、いま!は、そんな中で、色んな表現の仕方がある
だから、それらを、適材適所 & 臨機応変に使わなければ、ドンドン
何も伝わらなくなって行くし、それこそ!「鬼に金棒」では無く、「ネコ
に小判」的に、技術のみが先行して、本来「それを使って、何を伝え
るのか?」の、本来の目的が、何処かに行ってしまうことになる
それの「反面教師」的な、立場にあるのが、いま!の、原子力である
本来の「目的」が、何処かへ行ってシマッタ(≒忘れた?)とき、モノ
ゴトは、暴走するのが、人間が「何かに置き換える」能力を持っている
ことの、諸刃の剣的、危うさである
本来、「礎(いしずえ)」になることは、シンプルであるのが、良い
なるべく、「基礎」は、単純かつ誰にでも、使えるモノであるべきでは有る
が、その面だけが、強調され過ぎると、逆に、誰にも使えないモノになる
如何に?シンプルな「手本」を創る化?が、みんなの課題である
そして、公共のモノゴトは、繋がって居なければ、使え無い!から、
その道は、なるべく「どん詰まり」にならない方が、善い
その昔(昭和の頃)の、北海道の鉄道路線図
松浦武四郎 第6回目の、北海道の探索経路図
※安政5(1868)年の「日記」の名称を、いま!の地図に落とすと
こんな経路が、見えてくる!らしい
勝手に?PR 「掲載」については、了解は得てる!けど