MATSURI まつり事

公共団体まとめ 

※表紙の下!の、ココに「INDEX」を作成予定
 

縦横無尽に!

 

何事にも「関わり方」によって、色んな「視点&視線」がある

 

最低でも、人間関係には「あなた&私」の2つの視点がある

それが、幾つも重なり合い、影響し合いながら「この世のすべて」が出来ている

いま!は、細分化され過ぎている!?から、全体が観えない!だけの話し??

 

それの縮図、仮想空間が「スポーツ」であり、そこでは、出来るだけ!

「比べる点≒競い合う尺度」は、その人間の「身体的な獲得したモノ」を計る&測るものでなければならない

だから、個人競技は「横並び」になり、団体競技や対戦型競技は、ユニフォームの「色わけ」をして、戦いに臨む

 

そして、その場所は「フェアな場所」として整えられる

つまり、選手あるいはアスリートたち本体!?以外の要因は「まったく同じ=平等な」条件に整えられていなければならない

だから、そこでは、競技者には「Fair Play (正々堂々さ)」が求められ、色んなヒトが観る「展示場(Fair Field)」になる

 

平和の祭典!の最高峰であるべき「オリンピック」

 

そこにある!フィールドやコート、ピッチ、グラウンド、土俵、そして畳の上 ...等(≒ジョートウ!?)は、現実世界とは「別の世界」であり、みんなで「神聖な場所」にしなければならない

だから、その事を知っている「日本人のココロ」は、そこに入るとき「一礼」をする...

 

その昔、ギリシャの時代の競技者は、真っ裸であった

それは「身体」以外の要因による「結果の違い」が出ない、あるいは「原因と結果」をより分かり易くするためだった

 

けれど、現代という「道具&積み重ねの時代」では、

それ以外のサポート体制の競争!という部分がある

そして、その面での競争もあった方が楽しい!?ハズ

 

開催前にあった「水着騒動」や、より道具の違いが問われる、モータースポーツの世界「F1」なんていう分野もあり、いまは「身体能力だけの競争」ではなくなっているのが、スポーツ界の「現実」

多くのアスリートは「生まれながら!」だけでは、勝負は出来ない

 

そんな「スポーツ界」の中で、色んなモノゴトで競い合うことによって、それぞれの分野に、新しい技術なり戦術!?が生まれること、そのモノ毎はみんなにとって良いことのハズ

だから「競争しているポイント」そのものには「純粋な!」っていうことを求められている場所ではあるが、色んな要因について考えていかなければならない

そして「何処を純粋にするか?」も変わって行かざるを得ない

 

そうなると、主催者側は大変!

だけど、それぞれの分野(≒競技)での色んな面での、競争が「Fairな形」で行われればイイしょ !? (って書くのは簡単??)

 

DE 最初の話しに戻る!...が、

 

確かに「この世は複雑(with 怪奇)」になり、

それぞれの人間は、すべてを見えている様で、観えては居ない

その視野には、何処かに、欠落している処があることを知らなければならない

 

インターネットの世界でも、其処では空間把握的には、世界中の津々浦々までネットワークされている(ハズ)

けれど、何処かのサーバー(あるいはコンピュータ)という『鏡』の上にモノホンの現実世界が「写されて(≒移され手)」いなければ、そのまま有りの儘(≒本物)は見えない

まだまだ「ディスプレイ」上で、世界全体が見渡せる様で、現実すべてが其処にある!ワケではない

 

だから、そこに具体的な「あなた」が観えなければ、見えていないと一緒!?

確かに、一遍に物理的に「すべてを観る」ことは不可能だし、一編にそれを理解することは、誰にも出来ないこと

 

しかし、人間には2つの能力が備わっている

 

まず「想像力」という『羽』が、背中に!?付いている

それは、相手の立場、あるいは実際にいま!自分自身がいない場所や、色んな状況を自分のアタマの中(≒自分の鏡)で想像すること

それで、色んなものコトを理解することが出来るハズ

 

そして「何かに置き換える」能力、あるいは何らかの「糸口」という『札』を自分の中で付け、整理することによって、その向こう側へ、すぐに飛んでいける様にすることが出来る

 

「羽」&「札」という、道具を持って!

縦横無尽に、誰もが「この世」を飛び廻ることは出来る...蓮(ハズ)