メディア( Media ) or メシア( Messiah )
ちょっとだけ??スペル(綴り)は違うが、音は「ディ」と「スィ」の違いだけ!
ってことで、私の中では、とっても近い存在に思えている !?
マス・メディア or マス・コミ
っていうとき、それぞれのヒトで、思い浮かぶ「伝達の手段」が違う??
年齢層が高いヒトは、まず新聞、次にラジオ、そしてテレビか?
また、今は若い世代にとっては、インターネットor K-tai 化!?
コミュニケーション
と言えば、まず会って会話する、次に電話する、そしてFAXするあるいは手紙を書く
最近は、メールする or HPやブログを作る...になって来た!?
っていう風に、世の中には「色んなやり方」があるのが、多様性の時代の「現代というの世相」
色んな方法 or やり方が有る!
そのことは、元来「良いこと」で有るはずで在る
けれど、それぞれに「一長一短」があり、
たった「一つだけ」有れば良い!ワケではない
最近流行りの、ネット上の YouTube を代表とする「動画配信」
最近は、個々のパソコンの性能も、全国的にブロードバンドの通信速度も上がって来たから、色んなモノが素早く、ネット上を走りまわっている
しかも、その上!気が付けば?、
いつの間にか、多くの「公的機関のHP」には、動画配信の機能が付いている
確かに何かを伝えたいとき、動いた方が「真実」っぽい?
より現実に近いものを伝達するくことが出来ている様に、思える
けれど、それを見ている側から!言うと、その画面が動いている間は、他のことが出来ない!!
なんとなく、小さな子供が目の前で、構って!っている様に思えるのは、私だけだろうか?
文字で、あるいは写真で伝えることが出来るのであれば、その方が受け取る側にとっては「時短!」になる
そして、いま!
後期高齢者!って言われている、年配の方々の「今のお友達は、テレビだ!?」っていうことが多い中、
テレビ放送は「地デジ(≒地上デジタル放送)」に完全移行する!
とか、NHKをはじめ多くのマスメディアは宣伝している
テレビジョン(TELEVISION ≒ 遠くの映像)
それは、それぞれの「ヒトが見ること!」が出来なければ、
ただの箱モノ(≒無用の長物化)
すでに「リモコンが基本!」のテレビの世界
だけど、たくさん憑いてる!?ボタンを使いコナシているヒトは少ない
... これから「野暮用」があるので、ちょっと中断
マスコミ/ 新聞社 のページがヴァージョン・アップ!
各地の よりディープな「地方紙」まで、ケア!?してみた
...で、戻って来たので、上記の文章に手を入れて、再開!
そう言えば、中国でも「○○を始める」ときは、
開始!っていうし、発音も「カイシー!」である...は余談
追記/北京オリンピックの開会式を見ていたら、胡錦濤さんは「開門!」って言っていたみたいだ
Open Your Heart !って感じか?(...まずは自分たちから??)
確かに、テレビの前に座っている、あるいはカウチ・ポテト(ちょっとだけ≒アウチ!太る!?)していると、勝手にテレビが、映像と音を垂れ流ししてくれる
しかも、リモコンをイジッテいれば、自分が色んな「情報に接している」ような気分になる
けれど、その映像の向こうでは、多くの「真実」というモノゴトが切り落とされていることも事実
必ずしも「ブラウン管」今なら、液晶画面化!?の中の出来事が、すべて!ではない
その映像を撮った人間の「視点」
それを発信する番組の、そのニュースに与えられた「尺」
ときには、そのニュースを話すアナウンサーの「性格」まで!
そんな色々な要因が重なり合って、色んなモノゴトがテンコ盛り!になって、その時!のニュースを構成する
だから、マッサラな事実は、その場所&その刻!!に、そこにいなければ観ることは出来ない
確かに、文章より写真、写真より動画の方が、より現実に近い「情報」を伝えることが出来るかも知れない
けれど、やっぱりそれを「見ている側」で、映像の行間!?を読まなければ、あるいは他の「視点」での情報と比較して、判断しなければ、すべてが「ウソ」になる
メディア... それは、現代における「メシア」の属性を持っている
どんだけ~!フラットな立ち位置で、現実を報道できるか?
それが、勝負の分かれ目である
それが「第3の視点」の立ち位置であり、その役割ブンタンを忘れたとき、弁(わきま)えない者化して、それは「迷子の道」にハマっているのである